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和歌山地方裁判所 昭和41年(ワ)37号 判決 1968年11月04日

原告

小林明美

ほか一名

被告

龍神自動車株式会社

ほか一名

主文

被告らは各自原告小林明美に対して金一三三万八、〇〇〇円、原告小林堅に対して金一〇万六、二五二円及びこれらに対する昭和四一年二月一九日より各完済するまでそれぞれ年五分の割合による金員を支払え。

原告らのその余の請求を棄却する。

訴訟費用は三分しその二を被告ら、その一を原告らの各連帯負担とする。

この判決の第一項は原告らに於て仮りに執行することができる。

事実

第一、当事者の求める裁判

原告ら訴訟代理人は、「被告らは各自原告小林明美に対し金二二三万円、原告小林堅に対し金二七万六、二二〇円及びこれらに対する昭和四一年二月一九日から支払い済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被告ら訴訟代理人は「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求めた。

第二、原告らの請求原因事実。

一、事故の発生。

原告小林明美は昭和三八年五月二七日午前一〇時二五分頃田辺市湊会津町一四八二番地先県道上に於て、被告久保内海の運転する被告会社の田辺駅前行大型定期乗合自動車(和二三一五―一七号、以下これを被告バスと呼ぶ)の右後輪で右足を押圧されて、右脛骨々折兼下腿に広汎なる皮膚壊死の重傷を負わされた。

二、被告らの責任

(一)  被告会社の責任

被告会社は被告バスを所有し、本件事故当時被告久保をして被告会社の定期路線バスの運転をせしめ、自己のために運行の用に供していたものであるから、被告会社は自賠法第三条にいう運行供用者として原告らの蒙つた損害を賠償する義務がある。

(二)  被告久保の責任

被告久保は被告バスを運転して前記道路を東へ進行中、前方路上を同方向に歩行中の原告明美を発見したのであるが、このような場合、自動車運転手としては歩行者の動静を注視し、出来るだけ道路左側を徐行し、歩行者に接触しないようにして事故の発生を未然に防止すべき義務があるのにこれを怠り、原告明美の約三〇センチメートル横を漫然と通過しようとした過失により本件事故を惹起せしめたものであるから、同被告は不法行為者として原告らの蒙つた損害を賠償すべき義務がある。

三、損害

(一)  原告明美の慰藉料

原告明美は、原告小林堅と小林栄子の長女で、本件事故により受けた前記傷害のため事故後約二年数ケ月にわたり諸方の病院に於て困難な治療を続けてきたが未だ完治せず、昭和四一年六月現在和歌山市内の愛徳整肢園に入院しており、今後尚数ケ月の加療を要する見込みであり、将来再手術の可能性もあるばかりか、受傷した右足は、今後如何なる治療によるも正常に復さず、一生涯跛行を余儀なくされる状態であるのみならず右下肢に残る瘢痕拘縮は甚しく、正視に堪えない痛々しさであり、これも治癒することはない。かように長期にわたる療養生活及びこの間に繰り返し行われた再々の手術による苦痛のみならず、不具者となつたために蒙る精神的苦痛や将来就職、結婚の際に受ける不利益を考慮すると、慰藉料としては金三〇〇万円が相当であるが、とりあえず右のうちの金二二三万円を請求する。

(二)  原告堅の損害

原告小林堅は原告小林明美の父親であるが、本件事故による原告明美の傷の治療等のために、次の如き出費を余儀なくされ、よつて財産上の損害を蒙つた。

(1) 治療費金二二六 一二〇円

国立田辺病院へ金一万一、八二〇円、中村整形外科病院へ金一八万一、八〇〇円、木村施術所(マツサージ)へ金二万八、五〇〇円の各支払分の外、治療のために愛徳整肢園入園中の民生費負担金四〇〇〇円

(2) 付添費金一三万三、八〇〇円

原告明美の受傷は前記の如き重傷であり且つ幼児であるから付添看護を要するところ、これにあたつた田本シズに対し支払つた付添費金一万九、五〇〇円、田本利男に対し同じく金六万二、三〇〇円、井谷きぬえに対し同じく金五万二、〇〇〇円の合計額

(3) 交通費金五万〇、五〇〇円

原告明美の通院のため、及び右明美の入院中付添看護のために家族が自宅から諸方の病院へ往復したバス、タクシー、鉄道乗車賃等合計額

(4) 雑費金五、八〇〇円

証明手数料その他の費用合計額

以上合計金四一万六、二二〇円のうち、被告会社より、治療費、見舞金として金一四万円を受領しているので、残額金二七万六、二二〇円

四、よつて、被告らに対し、原告明美は金二二三万円、原告小林堅は金二七万六、二二〇円及びこれらに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和四一年二月一九日から完済に至るまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三、被告らの答弁

一、請求原因第一項は受傷程度は否認、その余は認める。第二項の(一)の事実は認める。同項の(二)の事実は否認する。第三項のうち金一四万円を原告らに交付した事実は認めるが、その余の事実は否認し、損害額は争う。

二、本件事故の発生につき被告久保に過失のなかつたことは次項のとおりである。

第四、被告らの各抗弁

一、被告会社の自賠法第三条但書による免責の抗弁

(1)  被告久保に運転者としての過失はない。即ち、同被告は、被告バスを運転して本件事故現場にさしかかつた際、前方道路上に、道路中央に背を向けて遊んでいる原告明美外二名の子供を発見したので直ちに速度を時速一三キロメートル以下(通常歩行の速度)に落し徐行に入つたところ、同女らが右道路上より退去したのを確認したので、そのまま同速度で徐行東進した。ところが、突然、再びバツクミラーに原告明美の姿を認めたので直ちに急停車したところ、同原告は被告バス後部車輪に触れて接触事故を起したのである。

右現場道路の幅員は四メートルであるが、道路脇の電柱のため実効幅員は約三・二メートル程度であるから、被告バスとしては、本件事故当時の通行位置以上に道路左側端に寄ることはできず、通行位置を誤つたということはない。又運転手たる被告久保としては、被告バスの後車輪附近の状況はバツクミラーで確認するよりなく、バツクミラーに映る範囲外の部分は、死角に入るので、その部分にまでは注意の仕様がない。そして被告久保は原告明美の姿がバツクミラーに映るのを認め、即時急停止の処置を講じ、わずか六〇センチメートルの地点で停車しているのである。これらの事実を総合すると、前記確認したとおり、原告明美は一旦道路上より退去したにも拘らず再び路上に飛出し、被告久保がバツクミラーで姿を認めた時には、急停止の処置をとつても後部車輪との接触は不可避な状態に在つたのである。いはゞ原告明美がバスの方へ飛込んできたのであるから、被告久保に過失はない。

(2)  被告車には本件事故当時、右事故の原因となるような構造上の欠陥も機能上の障害もなかつた。

(3)  本件事故の原因は、あげて原告側の過失にある。即ち、本件事故現場は、田辺市内でも最も交通頻繁な道路であり、交通上危険な場所であることは、原告明美の両親、家族に於て知悉しているところである。右両親又はこれらに代つて原告明美を直接保護監督していた者は、当時二才の幼児である原告明美が、かような危険な道路上へ一人で出歩かないように注意すべきであるのにこれを怠り、前記のように勝手に遊ばせていたために本件事故を惹起するに至つたものである。従つて、原告明美の両親又はその当時付き添つていた家族の者にこそ過失がある。

二、示談の成立

仮りに被告らに損害賠償責任があるとしても、昭和三八年六月二日原、被告ら間に示談が成立し、被告側より原告側に対し金四万円を支払うことにより原告側は将来如何なる事情が発生するとも何らの要求もしない旨合意した。よつて原告らの請求は失当である。

三、過失相殺の抗弁

仮りに被告らに損害賠償責任ありとしても、原告側に於ても前記の如き重大な過失があるので、損害額算定につき考慮さるべきである。

第五、右各抗弁に対する原告の答弁

抗弁一の各事実は否認する。

同二の事実は認める。

同三の事実は否認する。

第六、原告の再抗弁

本件示談は錯誤により無効である。

即ち、右示談が成立した昭和三八年六月二日当時は、医師から右下肢挫創で加療三ケ月を要すると診断されていて、見た目にも複雑骨折程度であるし、右期間で完治するものと思つていた。示談に当つた原告小林堅は、当時自分も自動車運転手を職業としていたので、同じ運転手の立場から、相手の身にもなつてやらねばならぬとの考えもあつて、事故後わずか五日目に、四万円という僅少な金額で示談に応じたのである。ところが、右示談成立の日から三日程経た同月五日頃から、患部がびらん状態を呈し、右足を切断せねばならぬという診断を受けるに至つた。その後、右足の皮膚のびらん侵潤は拡がり、管状皮弁移植によりびらん面の修復を試みてはいるが、現在もその瘢痕を残し、右足首は殆んど動かず跛行を余儀なくされ、今後も右移植手術を続けねばならない状態である。かように原告明美の症状は、示談成立当時予測された以上に、はるかに重篤な経過を辿つたのであつて、若し、原告側が、右示談当時に、かような重大な結果になると判つていれば前記の如き示談には、決して応じていなかつた。この点に於て、前記のような原告小林堅の示談契約締結の意思表示の重要な部分に、錯誤があつたのである。

第七、右再抗弁に対する被告の答弁

再抗弁事実は全て否認する。

第八、証拠 〔略〕

理由

第一、原告主張の日時、場所に於て、被告久保内海運転のバスが右後輪で原告小林明美の右足を押圧したこと。その当時被告会社が、右被告バスを所有し、被告久保をして定期路線バスの運転をせしめていた事実は、当事者間に争いがない。

そうすると、被告会社は、保有者として、原告らの蒙つた損害につき、自賠法第三条による損害賠償責任を免れない。

第二、被告会社の免責の抗弁(並に被告久保の過失の存否)について。

一、〔証拠略〕を総合すれば以下のような各事実が認められる。

(一)  本件事故現場の道路は県道稲成線と呼ばれ、人家の稠密する市街地をほゞ東西に一直線に通じている。事故現場付近の道路幅員は四・五米程で、タール舗装され路面は平担で前方の見透しは良好である。交通はかなり頻繁で、幅員が右の如く狭いので西進禁止の一方通行と定められていて、事故当日の天候は晴で路面は乾燥していた。

(二)  被告バスは車長九・二一米、幅二・四五米、高さ二・九七米の箱状の大型バスで、運転席が車体の先端近くにあるので、ごく接近した前方の下方は見にくいこと。被告久保は平素通行しなれた定期路線を事故当日も田辺駅に向い本件事故現場付近を西より東へ進行してきたところ、前方九・五米程先の道路の南側に、原告明美を含め二、三才位の幼児が三人、被告バスに背を向けて路上で遊んでいるのを発見した。事故現場は前記のとおり一方通行ではあるが道路が頗る狭いので、被告久保は時速一三粁程のゆるい速度でバスを進行させていたのであるが、バスが接近するにつれて右幼児らはそれに気付き路上より南側の露地に退去するものと安易に考え、幼児らの動静より眼をはなし、同速度で約一七米程進行した際、被告バスの前方右側(進行方向に向つて)にとりつけたバツクミラーに突然原告明美が被告バスの右側後方へ向つて歩行してくる姿が映るのを認め、驚いて急停車したこと。

(三)  被告バスは七〇糎余りスリツプして停車したが、それ以前にバスに歩み寄つていた原告明美は、バスの右側後輪のやゝ前方の車体に当つて仰向きに右脚を後輪に沿わせ、頭をやゝ南にして路上へ転倒したので、スリツプする後輪(二重タイヤの外側)の側端あたりで右足を押圧され、路上に小豆大の肉片二個を剥離する程の剥皮挫創を負つたこと。右衝突時に被告バスの右側は道路の南端より八〇糎のところを通つていたこと。

以上認定事実は次に言及する被告久保本人尋問の結果を除いて他にこれに反する証拠はない。

二、被告久保本人尋問の結果によれば、(1)被告久保が発見した原告明美ら三人の幼児の位置は、前方九・五米程の道路中央よりやゝ南側で、被告バスがそのまゝ進行すれば当然衝突すべき所にいた。(2)被告久保は幼児らを発見し早速クラクシヨンを鳴らしたところ、幼児らはそれに気付いて路上より南側の露地へ退去した。これを確認したが被告久保はなおも幼児のことに気づかいながらバツクミラーより眼を離さず進行速度を更に減らし時速一〇粁程度にして進んでいたところ、突然原告明美の姿をバツクミラーに認めた。その時の原告明美は被告バスの右側後方に走り寄るような姿勢であつて、被告バスを即時停車せしめても事故を避け得ず、被告久保としてはこれ以上事故阻止のために施すべきすべはなかつたと供述している。

しかしながら〔証拠略〕によれば、被告バスのすぐ後を同一方向に進行していたタクシー運転手上村利秋が確認した事故の模様は、被告バスの先端が既に幼児の位置より東へ通過しているにも拘らず、幼児三人は道路の南側にバスに気付かない様子で遊んでいるのを見た。その瞬間二人の子は路上より南へ走り去つたが、一人だけはバスの方へ寄つて行き衝突したのであることが認められ、又幼児らの位置が南側道路脇であつたことは〔証拠略〕によつても明らかである。かように(1)前記のとおり被告バスが道路南端より八〇糎の間隔で進行しその先端が幼児らの位置を過ぎ去つているのに拘らず幼児らは被告バスと接触していないこと、(2)幼児らが二人は路上より南へ、一人は被告バスの方へと動き出したのは、既にバスの運転席が幼児らの位置を通り過ぎてからであること、これらの事実からすれば(1)幼児らの位置は道路の南端近くであつて、被告バスがそのまゝ進行(甲第八号証によれば被告久保が幼児を発見したときには被告バスは道路南端より一米一〇糎の間隔があり、事故発生場所では前記のとおり八〇糎である。)しても、原告明美が被告バスに向つて歩み出すようなことのない限り、衝突する位置にはなかつたこと、(2)幼児らは被告バスの先端が通り過ぎてもなお道路の南端近くに遊んでいたのであつて、被告久保がクラクシヨンを鳴らし、それによつて幼児らが路上より立去るのを事前に確認しつゝ進行したのであるとは到底解することはできない。幼児らが前方の道路南端近くにいたが故にこそ被告久保は前記甲第七号証、同第九、一〇号証に供述している如く、そのまゝ進行しても接近するにつれてこれに気付き南側の露地へ立去るであろうと安易に考へ、さして切迫した危険感を抱いていなかつたのであろうことが理解される。そしてクラクシヨンも鳴らさず、幼児らの動静より眼をはなして進行し、突然バツクミラーに原告明美の姿を認めて驚愕したというのが真相と考えられる。従つて事故発生に関しての被告久保本人尋問の結果は措信しえない。

三、以上によれば、被告久保は大型バスを運転し狭隘な道路上で交通事故の生じないよう速度をゆるめ一応の注意を払つて進行したものと言えるが、二、三才の幼児には道路交通に対する危険感乏しく、いつ道路中央へ歩行し出すか知れないから道路脇でそのまゝバスが進行しても接触する虞れのない位置に幼児がいたとしても、幼児を完全に道路上から立去らすとか、或は幼児の動静に充分注視し路上を歩行する等危険な事態の発生に備えて衝突事故の生じないよう万全の注意を払うべき義務があるにも拘らず、被告久保は前記の如く幼児三人が被告バスの進行に気付かぬ様子で道路南側脇に背を向けて遊んでいるのを認めながら右注意義務を怠り、バスの進行につれてこれに気付き幼児らは南側露地に立去るものと安易に考え、幼児の動きより眼をはなして進行したため、原告明美が路上へ歩み出すという不測の事態に対処し得ず本件事故の発生を見るに至つたのであるから、ゆるい速度で進行したとか、後方はバツクミラーに映ずる以外は死角であるとかの事由を以て責を免れ得るものではない。

以上のとおり被告久保に過失が認められるから、被告会社の免責の抗弁はその余の点について判断するまでもなく失当であり採用し得ない。

第三、損害について。

被告久保が民法第七〇九条に基づき、被告会社が自賠法第三条に基づき損害賠償責任を負うべきことは以上のとおりであるから、次にその損害について考察する。

一、原告明美の慰藉料。

〔証拠略〕を総合すれば、原告明美は本件事故により直ちに国立田辺病院に収容され同年六月三日まで入院したが、タイヤによつて押圧された右下肢の挫創は重く、甚しく剥皮し、筋肉も損傷され皮膚は黒ずんで腐つてくる有様で、医師より治療期間三ケ月で、右足を切断しなくてはならないかもしれないと云われたこと。原告明美の父母は足切断を避けて何とか回復させたいと望んで和歌川市内の中村整形外科病院に転院させ昭和三八年六月三日より昭和三九年二月二九日まで入院治療を受けた。同病院では全身麻酔のもとに大腿、下腿、足関節足背にかけての壊死創を除去し、島状に小さな皮膚弁を移植しそのあとをギブス包帯し、度々このような手術を行い、原告明美の腹部、大腿部等の皮膚の外母小林栄子の皮膚をも利用して植皮術を行つた結果、手術のため連日高熱を発し原告明美の全身状態は頗る悪化したが、徐徐に良好に向い、当初切断寸前の状態にあつたが、切断を免れるに至り、退院近くには伝い歩きをようやくできる程度になつた。そして右退院後も右病院に通院し、傍ら昭和三九年四月より同年一一月までマツサージ療法を受け、昭和四〇年四月より同年一二月頃までは愛徳整肢園に、同年一二月より紀南総合病院、昭和四二年二月より南紀療育園と転院し、その間各病院に於て何回となく前述のような植皮手術を繰返し漸く病状は固定したが、右下肢は広汎な挫創並に植皮後の瘢痕拘縮を残し、右前膝部には鳩卵大の皮膚潰瘍があり、そこに常時少量の分泌物があり、歩行は可能となつたが、右膝関節の運動は高度に制限され、右足関節は尖足位に拘縮があり跛行を生じ、つま先で突足状に歩行し、正坐することができない状態であること。昭和四三年三月に右南紀療育園を退院し小学校に通学するようになつたが、登下校にも送迎する等看護を要し、歩行不自由なため道で転ぶこともあることが認められる。

右の如く極めて長期に及ぶ入院、通院、その間甚だ苦痛の大きい植皮手術を常時つゞけてきたこと、病状は固定したが右の如き後遺症が残つたこと、その部位、程度、これらを総合し女児である原告明美が成長した暁、これによつて如何ばかり深い苦痛を感ずるであろうか推察するに余りがある。これに対する慰藉料は請求に係る金二二三万円を以てしても多しとしない。

二、原告小林堅の損害。

(一)  〔証拠略〕によれば、父親たる同原告が原告明美の治療費として田辺病院へ金一万一、八二〇円、中村整形外科病院へ金一八万一、八〇〇円、木村龍平にマツサージ代として金二万八、五〇〇円、愛徳整肢園へ民生費の患者負担分として金四、〇〇〇円、以上合計金二二万六、一二〇円を支払つていること。付添看護費用として田本シズに対し金一万九、五〇〇円、田本利男に対し金六万二、三〇〇円、井谷きぬえに対し金五万二、〇〇〇円、以上合計金一三万三、八〇〇円を支払つたこと。原告明美の前記転院に応じ自宅より各病院まで父母が看護のため、鉄道、バス、タクシー等で往復し、昭和三八年六月より昭和四〇年一二月までの間に合計金五万〇、五〇〇円を要したことがそれぞれ認められ、これに反する証拠はない。

(二)  しかしながら請求に係る証明手数料等諸雑費金五、八〇〇円についてはこれを認めるに足る証拠はない。

第四、過失相殺について。

以上によれば原告明美については慰藉料金二二三万円、原告小林堅については治療費等合計金四一万〇、四二〇円がそれぞれの損害と見られないでもない。しかしながら本件事故発生について原告明美に前認定の如き危険な挙動があつたことも否定し得ず、又〔証拠略〕によれば、本件事故は原告明美の祖母である訴外田本シズが原告明美を連れて事故現場近くの親戚の家へ赴く途中の出来事であり、原告明美が右現場附近まで一諸に歩いてきた田本シズの手を離れて一人で先に走り出したが田本シズは「気をつけよしよ」といつただけで、これを引き止めもしなかつたことが認められる。右認定と異る原告法定代理人小林栄子尋問の結果は信用できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

そうすると、本件事故当時原告明美の母親である小林栄子に代つて原告明美を監護すべき立場にあつた田本シズには、前記の如き交通頻繁な本件道路を、当時僅か二才の幼児を伴つて通行するに際し、その手も引かず、一時的にもせよその行動を放置していた点に本件事故発生の一因を帰せしめ得べき義務違背があるというべく、従つてこれを原告ら側の過失としなければならない。そしてその割合は前掲事故発生の経過にかんがみ、原告ら側の過失を一〇分の四とするのが相当である。従つて右割合に従い原告明美の慰藉料は、金一三三万八、〇〇〇円、原告堅の治療費等損害は金二四万六、二五二円である。ところで被告らより原告らに対し示談金として金四万円、その後にも金一〇万円計金一四万円を交付していることは当事者間に争いなく、後述のとおり示談としてその効力を認め得ない以上、原告らに於て自陳する如く本件の損害に対する弁済として原告堅の右損害に充当されたものと解すべく、そうすれば原告堅の右損害は金一〇万六、二五二円である。

第五、示談について。

昭和三八年六月二日原告明美を代理する原告堅と被告らとの間で、被告会社より原告明美に対して医療費として金三万円、外に原告明美が和歌山市内の中村整形外科病院に転院するについての自動車代として金一万円計四万円を支払う。それによつて示談解決し今後如何なる事情があるも一切苦情を云わないとの内容の示談書を取交し、被告会社より右四万円の支払がなされたこと、その後も原告明美の代理人として田本利男が被告会社より金一〇万円の金員を受領したことは当事者間に争いがない。

ところで、前記のとおり原告明美が本件事故により国立田辺病院に入院したのは昭和三八年五月二七日、それ以後諸所の病院、医療施設を転院し最後に南紀療育園を退院したのは昭和四三年三月下旬のことで、本件示談当時医師より治療期間約三ケ月を要するとの診断を受けていたことよりすれば、予想外の約五年に近い歳月を経ていること。本件事故当初より下肢挫創による剥皮のため皮膚が腐敗していくようであれば下肢を切断しなければならない虞れのあることを医師より聞かされていたが、その後の治療は原告明美の皮膚は勿論母栄子の皮膚をも移植し甚だ苦痛の多い手術を何回となく繰返し、ようやく切断を免れ病状は固定に向つたが、右膝関節に鳩卵大の潰瘍があり且つ高度の伸展障害が見られ、歩行は可能とはなつたが右足関節の尖足位に拘縮があり、つま先で突足状に跛行しなければならず、右大腿下端より下腿にかけ広汎な瘢痕拘縮のみにくい傷あとを残す等重大な後遺症を残していることも前記のとおりである。示談の成立した昭和三八年六月二日と云うのは、同年五月二七日の本件事故より旬日を出でず、しかも愛児の受傷に気も転倒し今後病状が如何に長期化し症状が重大化するかの見とおしも立て得ない段階であつて、かような時期に右結果を予測し得たものとは到底解されない。しかも〔証拠略〕を総合すれば、原告堅は以前バス等の運転手をしていたことがあり、又被告内海とは顔見知りの間柄でもあり、且つ本件示談は危険な路上に幼児を放置したこと、その幼児が路上へ走り出し、被告バスの後輪の付近で当つたのであるから、被告バス側としては如何ともし難い事故であつて、被告ら側に於ては法的責任を負うべき筋合ではないが、道義的に示談に応ずるのであるとの雰囲気のもとになされ、原告堅に於てもこれに支配され、かような事情を前提として示談したのであろうことは察するに難くない。原告明美の本件受傷に基く諸損害は恐らく本訴に於て請求されているものに尽きるとは思われないが、前記認定の限りでも原告らの損害は金一四〇万円を超える(原告側の過失相殺をしたうえで)のであつて、これを僅かに金四万円で全損害の皆済とする約定は、それにつき首肯しうべき事情の存しない限りいかにも均衡を失した不合理なものというべきで(被告会社が後に金一〇万円を支払つていることは前記のとおりであるが、当初の示談よりすれば予定外のもので、これをも合し金一四万円での示談とは解されないが、仮りにそうでないとしても均衡を失することに変りはない)、この点からも右事情は窺える。

右各事実によれば、示談当時に於て原告明美の症状が右の如く著るしく長期に亘り且つ頗る重大化するとのことは予測もし得なかつたことと見ることができる。のみならず正当な認識を妨げる諸事情のもとで示談がなされた形跡も察せられる。結局本件示談に於ける原告堅の意思表示の要素に錯誤があつたものということができ、前記の如く下肢切断の危険性を聞かされていた一事を以て右錯誤と相容れないものと云うことはできない。そしてかように予測し得ない事実により生ずる損害は、争の目的として和解の対象とした事項とは云えないから、右錯誤の認定は本件示談の和解契約としての効力に抵触するものでもない。

第六、結論

以上原告明美の慰藉料金一三三万八、〇〇〇円、原告堅の治療費等金一〇万六、二五二円の損害を認めることができるから、被告らは各自原告それぞれに対して右金員及びこれに対する訴状送達の翌日である昭和四一年二月一九日より完済するまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払義務がある。よつて原告らの請求を右限度で正当として認容し、その余の請求を棄却し、民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条、第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 林義雄 最首良夫 藤戸憲二)

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